「先に入りますか?」

 部屋を開けると、エレンはトランクの中をごそごそと漁っていた。柔軟剤の優しい匂いが鼻腔をふわりとくすぐる。

「部屋主が先に入ってくれ」

「じゃあ、適当にくつろいで待っててください」

 リヴァイの手には、パジャマ代わりのラフな着替えやタオル、簡単なシャンプーのセットを入れた適当な袋が握られている。エレンが座っていた椅子に腰を下ろして、テーブルに肘をつけた。

 じっと耳をすませていなくとも、エレンがザアザアとシャワーを出している音、そしてシャワーをきゅっと止めた音がクリアに聞こえてくる。今は頭でも洗っているのだろうか。それとも、身体から洗うタイプだろうか。不埒な妄想をはじめる思考を追い払うように、視線をきょろきょろとさまよわせた。だが妄想を追い払う前にバタンと大きな音が部屋に響く。

「リヴァイさん! すみません、コンディショナー持ってますか?」

 焦りをあらわにした声色に、はっと顔を上げる。持ってきた荷物に腕を突っ込みながら、風呂場に向けてとっさに声を張り上げた。

「持ってなかったのか?」

「ねえとは思わなくて!」

 このホテルにはリンスインシャンプーしか置いていない。そもそも、細やかなアメニティを用意してくれているホテルは、観光客が泊まるような高価なところぐらいだ。

「待ってろ、一式貸してやる」

「ありがとうございます、おねがいします!」

 シャンプー、コンディショナー、そして愛用しているボディソープを引っ掴む。少しだけ悩んでから、ボディタオルを腕に引っ掛けた。

「開けるぞ」

 蒸気で曇るクリアなドアを開けると、当たり前だが素っ裸のエレンが立っていた。一瞬で色々と見てしまって、渡す腕が怯んでびくりと震える。

「あっこんなに! いいんですか?」

「このホテルのは臭えからな。あと、なかったろ。ボディタオル」

「まさかねえとは思わなくて! ありがとうございます、遠慮なくお借りします」

 屈託のない笑顔を見て、じわじわと己の耳たぶが熱を孕んでいくのを感じる。惚れたことは自覚していたが、さすがに欲情してしまうことは想像だにしていなかった。声帯を震わせることすらできずに、簡単に手を上げてから扉を締めた。

 水滴を纏った、すらりとした綺麗な背中。きゅっと締まった美味そうな尻から、むっちりと伸びた筋肉質な足。リヴァイに手を伸ばしたエレンは、自分の下肢や毛までもを一瞬で見られていたとは思っていないだろう。くったりと柔らかそうな性器の色は案外薄く、胸板にくっついていいる突起はぷっくりと柔らかそうだった。

 ずくりと雄の本能が疼いてしまい、必死で思考を別のところへと飛ばす。ここには仕事で来ているのだ。自分が来なければいけないきっかけを作った、海外営業部での後輩の顔を思い出せば一気に股間は柔らかく萎んでいった。

 事故で入院したと聞いたときは肝を冷やしたが、リヴァイが旅立ってすぐに退院したらしい。退院祝いは何にしようか、簡単なものでいいだろうか。スマホで検索しながら真剣に頭を悩ませていたら、ぱたんと静かに開くドアの音がした。

「いろいろお借りしてしまって……ありがとうございました」

「いや、構わねえよ。風呂借りるぞ」

「どうぞ。床滑るので気をつけてくださいね」

 顔を上げるとエレンが下着一枚しか身に着けていなくてぎょっとする。

「風邪ひくぞ」

「大丈夫ですよ。ここでドライヤーあてたくて」

 同性同士だから気にしていないのだろうが、自分は上半身のみずみずしい肌を見ただけで興奮してしまうのだ。本人にはぶつけられない気持ちを隠すように、なるべくエレンを見ないで風呂場に足を運ぶ。無駄にいい動体視力は、ちらりと視線を流すだけでエレンの半裸をしっかりと捉えてしまっていた。

 脱衣所で感じるむわりとした蒸気だけで興奮に拍車がかかる。置きっぱなしにしてある小さなランドリーバッグには、脱ぎたての肌着類や今しがたまで着ていた服が入っているのだろうか。思考回路が思春期そのものだ。昨日までは年相応に仕事のことばかり考えていたはずだが、もうエレンと出会う前に思考を戻せない。

 濡れた床はエレンが言った通りよく滑る。一歩一歩足跡を辿るかのように床を踏みしめて、勢いよくシャワーハンドルを回した。不埒な気持ちを流したくて頭からたっぷりの湯を浴びる。

 シャンプーを手に出せば、嗅ぎ慣れた香りが狭い浴室に一気に広がった。今のエレンの頭と同じ匂いを自分の頭に広げていく。

 髪の先から爪の先まで、今現在のエレンと同じ匂いを纏うのか。まるで同棲している恋人同士だ。情けないことに、これだけで一気に多幸感が押し寄せてくる。

 思春期だと自分を揶揄していたが、これでは恋という単語を知ったばかりの小学生ではないか。四十路が見えてきた自分の考えが気持ち悪すぎて、もういっそ爽快にすら感じてくる。

 びしょびしょに濡れた使いたてのボディタオルを泡立てていると、思考回路はまた思春期に戻る。これで身体の隅々まで洗ったのだろう。微かに芯を持つ下肢に自分の欲望を再確認してしまって気分が滅入る。これからどんな顔をして夜更かしをすればいいのか。

 今頭を悩ませたところで、いざまた顔を合わせると、とりとめのない話で大盛り上がりしてしまうのだろう。小さな舌打ちはシャワーの音でかき消された。

 離れたくない。これきりだと思いたくない。あいつは夢を背負って海を隔てた遠い地へ行ってしまう。自分にはどうすることもできない。どうにかする権利なんてあるわけがない。

 制御できない感情が濁流となって心の隅々まで勢いよく流れていく。悶々と襲い来る汚い感情に相反して、身体だけはすっきりと綺麗になっていった。ぬるついたコンディショナーを流しきって、のぼせて熱いため息を漏らす。ぐしょ濡れのボディタオルを絞ってから、濡れた床に足跡を残した。

 離れたくない、悶々とそう考えていたせいで、性器はすっかり元の姿に戻っている。あるべき場所にないドライヤーは、まだ部屋主の手の中にあるのだろうか。毛先から落ちる水滴が持参した部屋着を濡らしていく気配を感じながら、エレンへと通じる扉を開いた。

「あっすみませんドライ、ヤー……を」

 ばっと立ち上がったエレンの声が萎んでいく。

「大人の男ってズルい、風呂上がりすら格好よくなるなんて」

 代わりに母国語でぽろりとこぼしたのは本音だろうか。思春期の思考から戻りきっていなかったのか、一気に首から頭皮までカァっと熱を持った。

「あ、そうか、言葉分かるんだった……やべ」

「お前も! ……お前も、風呂上がりはセクシーで格好よかった」

 エレンの顔色がじわじわと熟れていくのは、リヴァイに釣られているからだろうか。

「明日帰らなきゃなんねえのに、離れたくないな」

 切なげにきゅっと眉根を寄せるのも、リヴァイの態度に同調してしまっているからだろうか。胸がきゅうっと痛んで、息が詰まりそうだ。

「俺もそうだ。こんなに楽しいと思う時間は初めてだ」

 言うつもりのなかった言葉が、ぽろぽろと溢れていってしまう。

「会ったばかりでおかしいと思うが、俺は」

 今なら引き返せる。留学先で出会った、気の合う大人のままエレンを送り返すことができる。しかし一度口を開いてしまうと止まらなかった。感情が口を塞いでくれない。

「お前に惚れちまったらしい」

 気持ち悪いと言って部屋を追い出してくれればいい。現実を残酷に見せつけてくれればいい。スパッと綺麗に切れた傷口は治りが早いだろう。

 呆然とした顔のエレンは、ドライヤーを握りしめたままリヴァイに一歩ずつ近付いた。

「オレも、あなたに惚れちまっていたので、好都合です」

 背中にがつんとドライヤーが当たる。鼻や口がエレンの熱い身体に押し付けられて息が苦しい。胴回りを腕ごとぎゅうぎゅうと締め付けられて、ようやくエレンに抱きしめられている事実に驚いた。腕を引き抜いて、思い切り抱きしめ返す。

 自分と同じ匂いがすると思っていたが、実際は違っていた。若い体臭と混じり合って、ボディソープやシャンプーそのままの匂いよりもぐっと安心する匂いに変わっている。とくんとくんと凄まじい速度で奔る鼓動は、リヴァイの音とシンクロしていた。

 自分の顔色も酷いだろうが、エレンの顔色もさぞかし酷いだろう。そっと視線を上げると、熱を孕んだ瞳に心を掴まれた。磁石同士がくっつくように、自然と顔を寄せる。頬を触るとまつげがばさりと下を向いた。唇を重ねると、熱い吐息が肌を撫でた。

 無言のまま、何度も何度も角度を変えて唇を重ねる。乾いていたはずの唇は、ただ軽く合わせていただけで驚くほどしっとりと濡れていった。我慢できずにぺろりと表面を舐めると、エレンの身体がぴくりと震える。驚かせてしまったか。しかし、自分を止められなくて熱く柔らかい唇をねっとりと舐めた。

 エレンの唇が薄く開いて、ぬるついた舌が現れた。挨拶するように舌同士で触れ合って、ねろねろと絡ませる。肌をくすぐる興奮した鼻息が心地いい。口づけだけで、己の性器がガチガチに緊張している。堪らず舌を口腔に滑り込ませて、柔らかいところも硬いところも丹念に舐めしゃぶった。

「ん、……っ」

 艶の乗った吐息を聞いてしまい、ますます頭の中は眼の前のものだけで埋め尽くされる。さっきまで顔を押し付けていた胸に手のひらを押し付けると、男らしい硬い弾力があった。興奮していたのは自分だけではないようだ。視線を下に向ければ、布をぐいぐいと押し上げる熱の塊があった。風呂場で見た色の薄い性器がグロテスクに勃ち上がる姿を想像して己の性器がびくりと震える。

「膝に、膝に力、入んね、……っ」

 シャツをぎゅっと掴まれて、エレンの手に持たれたドライヤーの存在を思い出した。我ながらがっつきすぎた。そっとドライヤーを奪って、テーブルにコトリと乗せる。

「今、お前をベッドに座らせちまうと、自分を止められる自信がねえ」

「それは、いいこと聞きました」

 赤い顔をしているくせに、唇だけでニィと不敵めいた笑みを浮かべている。よろよろとベッドに座って両手を広げられて、後先考えずに押し倒した。