ランドリールームに洗濯機の軽快な音と、優しい洗剤の香りが広がっている。室内干し用の物干し竿を使わずに、今夜は洗濯乾燥機に任せるつもりだ。エレンのシャワー音を聞きながら足早に自室に戻った。

 充電器に挿しっぱなしのスマホを尻ポケットに挿してから、自分も入浴の準備を済ませる。風呂のあとは夕食を食べて、あとはもう寝てしまえばいい。布団を自室に敷くか客室に敷くか、リヴァイは未だに決めかねていた。

 木の板が軋む音がゆっくりと自分に近づいてくる。

「早いな、もう風呂出たのか」

「普通じゃねえ? あと、あんまり広い風呂場は落ち着かねえ。ホテルみてえだし」

 慣れていない場所が落ち着かないのだろう。元々カラスの行水だったエレンが、今の世界で突然長風呂に目覚めるとも考えづらい。

「暇だったら居間でテレビ見ててもいいし、……ああ、スマホの充電器使っていいぞ。ゲームとかできるんだろ?」

「オレ、ゲームしてるって言ったことあったっけ」

 ぽかんとした顔で言い放たれて、指先がピクリとわずかに震えた。まずいと思ったのも一瞬。

「言ってたろうが、ゲーム強い知り合いができたって」

「ああ、言った気がする。よく覚えてるな」

 過去にしていた会話に合点がいったようだ。静かにほっと胸をなでおろした。

「まあ、適当に探検でもしとけ。見られて困るものもないしな」

「疲れてるから休憩してる」

 替えたてのシーツの上に転がった姿に、少しだけむらっと下肢が反応しそうになった。思春期の身体は復活が早くていけない。

 

 湯船の中に入りながら、持ち込んだスマホの画面を撫でる。画面を洗ったことはあるが、入浴時に持って入ったのは初めてだ。湿り気を帯びたタオルで何度か指と画面を吹き直して、隠してあるSNSのアイコンをタップする。

『今度は手を出されちゃった、相手未成年なのにどうしよう、またやっちゃった』

『二回目なのに、めちゃくちゃヨかった』

 相次いで入っていたメッセージにどきりと心臓が音を立てた。

『二回目?』

 自分の話だ。クッション代わりにオウム返しをして、どう打つか思考をぐるぐると回す。しかしエレンからの返答は思ってもいないことだった。

『オレの初体験、前に手を出しちゃったときなんです』

 ぐるぐると回る思考が強制的に止まる。バクバクと主張する心音は緊張か、それとも期待か、まさかときめきか。

『初めてのときも、まあ、気持ちよかったんだけど』

 エレンからの連撃は止まらない。自分の感情を切り離して言葉を考えることで、ここまで苦労したことはない。なにせ頭がまわらない。

 あれだけ開発が進んだ身体を持って、まさか未経験だと思わなかった。乳首も尻も、全て初めて人に曝け出していたのだ。あの顔と色気だ、声をかけなくとも寄ってくる男女はいくらでもいるだろうにだ。

 火照った息が湯船の水面を小さく波打たせた。画面に落ちた雫を拭って、エレンからのメッセージを無意識に目で追い直す。

 大学に通いながら家庭教師のアルバイト。夜はゲームか、友人たちと健全にカラオケなんかで遊んでいる。その合間にしっかりと勉強もしていると言っていた。履歴書では近くの公立校から有名大にストレート合格とあった。高校時代、いや、中学のころから勉強にどれだけ時間を取られていたのか。

 では何故、リヴァイ相手に淫乱めいた誘い方をしたのか。男のケツは普通あれだけ簡単に柔らかくなるのか。ほぐし方が手慣れていたのはオナニーのせいか。混乱する頭がくらくらと頼りなく揺れた。普段よりも短い時間でのぼせたのは、エレンのメッセージのせいだ。

 

 ドライヤーもそこそこに、適当な格好で風呂場を出る。水の入ったグラス片手のエレンとばったり遭遇して喉がひゅっと鳴った。ズボンのポケットに手を突っ込みながら、歩く方向を変える。目を盗んでマナーモードにしようとして、手探りでは無理だと電源を落とした。

「飯食うか」

「食う。腹ぺっこぺこ。なあ、なんでそんなビックリしたんだリヴァイ。オレがいるの忘れてたんじゃねえだろうな?」

「逆だ逆。丁度お前のことを考えてたせいだ」

「へえ、……ヨかった?」

 ふうと息が耳元にかかった。すぐ近くまで迫るニヤついた顔を真正面から見返してやる。

「誘ってんのか」

「さすがに中学生並にオレは復活早くねえの。ケツだって擦り切れちまう」

 両手を上げて離れていく様に軽く舌打ちを返した。

 

 家政婦は冷蔵庫内に翌日の朝食までを用意してくれている。冷蔵庫から取り出すのを任せて、リヴァイはリビングの収納をごそごそと漁った。取り出したのはレトルトや缶詰になった非常食だ。

 パンやスープ、麺類からデザートまでずらりと並べるとエレンの目が丸くなる。

「どれが食いたい」

「すげえ、スーパーみたいだ……」

 エレンの手が止まり木を探すようにふらふらとさまよう。

「いくつでもいいぞ、食えるなら」

「じゃあ、……」

 レトルトのハンバーグや缶詰の甘いパンをひょいひょいと手にして、子供みたいな顔で「これ」と突き出された。昔と重なるその面持ちに、心の中で暖め続けていた気持ちが溢れだす。

「年上のくせに、クソガキみたいな顔しやがって」

 髪を撫でようと手を伸ばすと、案外抵抗なく素直に撫でさせてくれた。同じ毛質、触り心地。こんなにゆっくり触れたことはないが、感触は懐かしさを添えて手に残っている。

「ガキのくせに、年上みてえな態度しやがって」

「うるせえよ」

 いじけた顔も、変わっていない。

 

 ふとした瞬間に、じわじわと押し寄せる自己嫌悪に目の前が暗くなる。

 自分に嫉妬するものだが、エレンに隠し続けていることもどちらもつらい。現実とネットの乖離が進んでいるのが怖い。

 客間に布団を敷いているとつまらなそうな顔で見られて、少し心が揺れた。

「てっきりリヴァイの部屋で一緒に寝るのかと思ってた」

「一緒でもいいが、落ち着かねえだろ」

 嫌われる勇気を持たなければ、先には進めない。未練を振り切るように淡々と用意して、最後に髪をぐしゃぐしゃに撫でた。