親戚がいなくても、リヴァイには助けてくれる友人ならばいる。一晩経って落ち着けば、疲れていたらしいリヴァイの頭もクリアになった。

 住民票はきっと燃えた場所のまま動かないはずだし、仕事さえ選ばなければ食っていくこともできる。そのあたりの事柄が疎いエレンに対して、リヴァイは大雑把に分かりやすくそう説明した。

 朝一番に外に出たエレンに合わせてのそのそとついてきながら、リヴァイは大きく酸素を吸い込んだ。目の奥を痛めつけるような眩い光が、木々の影を長く細く伸ばしている。部屋の中の埃臭い空気とは違い、どこまでも澄み切っていた。

「せかせかしなくてもいい生活っていいな」

「そうですか? 薪割りや日没に追われる毎日ですよ」

「それでも、ゆっくりできる時間があっていい」

「なら、しばらくここでゆっくりしたらいいんじゃないですか?」

 思わずそう提案してしまったのは、きっとリヴァイとの空間にホッとしていたからだ。人との空間がこれほどまで、己に活力を与えるなんて昨日までは知らなかった。

 自分のためだけになされた提案だが、リヴァイはあからさまに身体の力をホッと緩める。

「お前がいいなら、そうしていたい。もちろん、戦力にはなれるぞ」

「薪集めとか、食料集めですか?」

 昨日倒れていたわりには、やたらと自信があるようだ。確かに筋肉はあったようだが、ライフラインが絶たれている暮らしは未知数のはずだ。

「それもできるが、家の修理だってできる」

「はあ、修理……」

 ぺらりと捲られたのは家の大部分を覆うビニルシートだ。ぶわりと舞った埃に目を細めながら唇を引き結び隣の男にじっとりとした視線を飛ばす。

「何も道具がねえのに、修理ですか」

「まあ、おいおい見つける」

 頼りになるんだか、ならないんだか。喉元までこみ上げた言葉を飲み込んで、「朝飯採りに行きますよ」と袖を引っ張った。人数が倍になったせいで、必要な食料も倍に増えた。薪の量こそは変わらないが、水だって倍必要だ。エレン手作りの畑には一人分の野菜しか実らない。

 昨日と同じように川まで歩いていると、リヴァイは途中で不意に焼け残った家の中へと入っていく。手入れせずに五年も経った家の中は、埃臭さを通り越して何故か土そのものの匂いがした。崩れ放題のレンガをいともたやすく外に放っては、手が汚れるのも構わずに何かを探している。

「いいものがあるじゃねえか」

 そう言って手に持っていたものはエレンも手に持っていたナイフだ。確かにそれだけあれば満足したらしく、今度はリヴァイが先頭に立って歩きはじめた。その背中はまるで夏休みの少年のように少しウキウキとして見える。足取りだってすこぶる軽い。

「リヴァイさん、これ食えますよ」

 ぶら下がる実を指させば、盗みたてのナイフがギリギリと茎を切った。不機嫌そうな舌打ちは切れ味の悪さのせいか。

「使えねえな」

 当たり前だ、研がずに五年も放置していたらそうなるのは。眉間に皺を寄せたまま実をずいと差し出されて、頭に疑問符を浮かべながら素直に受け取る。

「お前が先に食え。俺は居候だから後回しで、……」

 言いながらさらに奥に実がぶらぶらとなっているのを見つけたようだ。今度はナイフを使わずにぶちりと力技でもぎ取っている。歩きながら食べる気だったが、リヴァイがしゃがみこむのに合わせてエレンも腰を下ろした。でかい岩に腰掛けていると、横でザリザリと不穏な音がする。

「研いでんですか?」

「そうだ。いい感じにレンガがここまで飛んでたからな」

 やり方は知っているらしいが、慣れているわけでもないらしい。まだ青い果実をもぎ取って、べたべたの果汁でざりざりと研いでいるが、手元を見ていても不安しか湧かない。ある程度研いでは果実を切って、また研ぎ始める。数分にも満たない時間だったが、どんどんと切れ味が鋭くなっていくのは見て分かった。

「なんで研ぎ方とか知ってんですか? サラリーマンだったのに」

「ボーイスカウトとか、ベンチャースカウトって知ってるか?」

「なんですかそれ」

 スカウトと言えば、勧誘のイメージが色濃い。だがリヴァイは別のことを言っているようだ。

「野外でキャンプしたりするガキ限定の活動のことだ」

 なるほど、現状は彼にとってはキャンプに近いらしい。ほとんどを自己流で済ましているエレンにとっては喉から手が出るほどにほしい知識の数々を保持しているのだろう。

「それって、魚捕まえたりしますか」

「釣ることはあったが捕りはしねえな。あー……いや、昔上流で掴み取りみてえなことはさせられたな」

「掴み取り?」

「水は冷てえし、魚は異常にすばしっこいし大変だった。だが、取れたては美味かった。昨日みてえに美味かった」

 自分にとっては毎日繰り返し食べている物だったが、彼は美味いと思いながら食べてくれていたらしい。

「オレも、昨日は美味かった」

 人と食べるのは数年ぶりだった。久々に食事が美味しく感じた。きっと、リヴァイと質の違う美味しさを感じていた。

「汁物はあれだ……素朴すぎて味が分からなかった。あれに慣れたら、普通の味付けは塩辛くて食えなくなりそうだな」

 眉尻を下げて唇を釣り上げたリヴァイは、昨日よりも少しだけ若く見えた。

「朝飯食ったし、行きますか」

「どこ向かってるんだ?」

「川です。川の仕掛け網に魚掛かってたらいいなって」

 ザクザクと木の葉を踏みしめる音が二人分、川へ向かって伸びていく。辿り着いてすぐに、暖炉でよく燃えてくれそうな木の枝を拾いながら上流へと向かった。見よう見まねでリヴァイもひょいひょいと拾っていく姿に、頼もしさではなく何故か可愛らしさを感じた。一回り以上年上の同性が自分を真似ていることに、アンバランスな何かを感じてしまったのだろう。

 今用意しているものが一年先に使う薪だと知ると彼は驚くのだろうか。それとも、ボーイスカウトなんて場所ではそこまで教えてくれるのだろうか。キャンプの知識ならば知らなさそうだ。

 水面では太陽の光がキラキラと色を変えて反射する。外に出たときは綺麗なオレンジ色だったのが、すっかり昼間と同じ色だ。

「仕掛けってあれか?」

「あれです」

「思ってるより大掛かりな……」

 上流とは言え、大人一人が両手を広げたサイズの川幅。そこにカゴのように編んだ網を設置して通る魚を全て捕える作りになっている。

「元々あったものを使ってますからね」

 特に雨上がりはよく捕れる。動物はなかなか掛かってくれないために、魚は貴重なタンパク源だ。

 慣れた手付きでロープを引っ張って魚を確認する。今日も小魚が数匹と、腹の足しにするには物足りないが致し方ない。なにもないよりかはマシだ。

 魚を適当な袋に放り込んで、仕掛け網を戻すところまでリヴァイは穴が空くほどじっと見ていた。手伝われるとかえって邪魔になりかねないから、それはそれでいいのだが。

 薪を拾いながら帰って、動物が掛かっていないか確認する。

「上手いもんだな」

 何も掛かっていないそれを見てぽつりと呟くのを聞いて、じわじわと耳から体温が上がっていった。

「でも、ほとんど掛かったことないですよ」

「餌も何もねえからな。お前が考えたのか?」

「そうです、これは全部オレが考えました。ヒットしたらラッキーかなぐらいで」

 またザクザクと足音が二人分、静かな空間で響いている。

「一旦家に帰ってから水を汲みに行くんですが」

「手伝う」

 着いてきますか、訊く前に食い気味で返されてにまにまと頬が緩んだ。

 

 無駄に筋肉を付けていたわけではないようだ。必死で運んでいた水を軽々と抱える姿に軽く瞠目した。

「リヴァイさんがいたら、畑に水撒くのもラクそう」

「なんだ、いちいちこれ運んでたのか?」

 井戸からの帰り道。左側に広がる畑を見て今度はリヴァイが瞠目する。

「水道なんて便利なのありませんからね」

 せめて川の近くか井戸の近くに畑を作ればよかったのだが、都合よく空いている場所がここだったのだ。天気続きでそろそろ畑の土もかさかさに乾きはじめてきたために、井戸水を撒いてやらなければならない。

「手伝わせてくれ」

 人手がこんなにありがたいものだとは思わなかった。

「昼飯食ったら、一緒に頑張りましょうか」

「……昼飯を用意してもらっている間、少し街をぶらついていてもいいか」

「いいですが」

 崩れ放題で荒れ放題のゴーストタウンでよければ。

 窓を覆うビニルシートを捲って光を入れながら、こくりと頷いた。

 

 相変わらず野菜を茹でた汁を作りながら、部屋の中を少しだけ掃除する。人と暮らすことなんて全く考えていなかったせいで、廃墟のことを言えないぐらいの荒れ具合だ。適当な布切れで軽く水拭きをするだけで、どこもかしこも色が一段階明るくなった。

 ついでにリヴァイの服をなんとかしてやりたいと、糸と布を用意する。適当に洗ったスーツはすっかり乾いていたが、普段着にさせるわけにはいかない。父親の遺品になってしまった服をスーツに合わせて適当に裾や袖を縫い付ければ、あっという間に時間が過ぎていった。慌てて家を飛び出してリヴァイの姿を探して歩く。

「飯、できましたよー!」

 誰もいないゴーストタウンでは小さな声でもよく通る。もちろん、リヴァイが奏でる謎の物音もよく聞こえた。

「すぐ戻る」

 熱で変形したパイプがずるずると建物の隙間から顔を出す。何をする気なのだろうか。何故それを手に持ったままエレンの後ろを着いてくるのだろうか。よく見れば一本ではなく数本だ。一昔前のヤンキーを彷彿とさせるのは、目つきが悪いせいなのか、それとも父親のズボンの裾がやたらとダボついているせいなのか。

 家の前でゴロゴロとパイプを転がしている姿を見てるときも、何に使うかを訊けないでいた。ヤンキーというよりも、ゴロツキにも見える。この人がスーツを着て山で倒れていたんだからおかしな話だ。熊と闘っても勝てそうなぐらいに逞しく見える。パイプで見えなかったが糸鋸も一緒に抱えてきたらしい。

「先に手を洗いたい」

 土や埃でどろどろの手の上に、汲んできた水をざぁざぁと流しかける。見ただけで手のひらの皮が分厚いことが分かった。やはり熊と闘っても勝てそうだ。

「リヴァイさん、何かしてたんですか?」

 筋トレ、格闘技。昨日見た裸体を思い出しながら頭の中で次々と予想を立てる。無駄のない筋肉は俳優やスタントマンよりもアスリートや軍人のようだった。

「使えそうなものを探してた」

「いや、そうじゃなくて、筋肉質だから……なんか熊と闘ったりとか」

「ねえよ。出んのか? 熊」

 ぽろりとこぼれだした言葉にリヴァイの目が呆れたように据わる。慌てて取り繕おうとしたがもう遅い。水をしまいこみながら小さく息を吐き出した。

「たまに。野犬のほうが頻繁に出ます」

「熊よりもやべえじゃねえか、群れだろ」

「群れてます。けど、家の中にさえいれば大丈夫ですよ。一番の天敵は虫です、特に蜂」

「案外身近なやつがやべえんだな」

「そんなもんです」

 虫に刺されたとしても、薬の類なんて存在しない。精々井戸の水で冷やすぐらいだ。水を片付けて室内に入ると、リヴァイはすぐに出しっぱなしの服に気付いたようだ。

「縫ってたのか」

「適当にですけどね。洗い替え、いりますよね」

「ありがとうな」

 どのぐらいここで過ごしてくれるのかは分からない。彼はしばらくとしか言っていないからだ。