役所には戸籍が残っていたらしく、届け出を出せばまたたく間に大きなニュースになってしまった。シガンシナのエレンの家を、目を丸くしたレポーターが外から色々といじっている。そんな図が何度報道されたか分からない。

『十歳から十五歳まで暮らしていた少年の家ですが、手作りで水道を引くなど工夫をして生きていたようですね。こちらは燻製窯でしょうか。レンガを使った立派な作りです』

 まるでエレン一人が全てを作ったような口ぶりなのが気に食わない。しかし、リヴァイはそれでいいのだと言う。

「真実を伝えるために出しゃばるのも面倒くせえだろうが。その時間を他に有効利用したい」

 立派な社会人に戻ってしまった彼と、通信制の高校に入学した自分。たしかに、そんな時間があるならば他に使うべきだ。たとえば。

「リヴァイさんの飯食ったりですか」

「そうだ。今夜何が食いてえか考えとけよ」

 猫のようにくっついてくる大人が、エレンの頬をべたべたと触る。料理はリヴァイ担当の家事になった。食材を捌くことができても、複雑に調味料を組み合わせることができないためだ。食べられればいいとの考えを捨てきれないエレンの食育もしてくれているつもりらしい。

「食いてえもの……シチューが食いたいです、真っ白なやつ」

「クリームシチューな。わかった。冷凍庫の肉団子と野菜でも突っ込むか」

 一汁三菜にこだわる男だ。きっとサラダやパンだけではなく、何か副菜も出てくるのだろう。にやにやと頬を緩めていると、その緩んだ頬に唇を押し当てられた。唇にほしくて顔を向けると、ついばむような軽い口付けを何度も受ける。

「そろそろ時間だな。お前の登校日はまだ先だったな?」

「明後日です。じゃあリヴァイさん、いってらっしゃい」

「行ってくる」

 玄関まで送り出してから、朝食の皿を丹念に洗う。市販の洗剤は汚れがあっという間に落ちるし、水切れがいい。明るい部屋く空調のきいた部屋での勉強もはかどって仕方ない。

 人と交流するのが嫌だったからと通信制を選んだが正解だった。つい最近の出来事だが、すでに懐かしさすら感じてしまう。

 

「時間はかかるが、俺の預金は全て戻るそうだ。宝くじの金はお前が使え」

「はっ? リヴァイさんにあげたやつなのに」

「嫌だ。好きな男から大金貰って平気な大人がいるかよ」

 一緒に暮らした翌日に、宝くじはエレンの金になることが確定した。急な大金の使いみちなんてあるわけがない。今まで金に触れず生きてきたのだ。

「そんな困った顔すんじゃねえよ。お前、学校行け学校。結構な金がいるぞ」

 インターネットで取り寄せた資料を見てもピンとこない。高校受験なんて考えたこともなければ受かるとも思わない。二人して悩んでいるときに見つけたのが通信制の学校だ。

 サポートの充実している私立高を選んだのだが、それでも普通の学校に比べてぐっと安価だった。働きながら通う学生がいるのも頷ける。金銭感覚が乏しいエレンでも、リヴァイの解説に目を丸くした。

 

 入学式を終えてバタバタと家まで帰れば、そわそわとした顔で待っていたリヴァイががたりと椅子をひっくり返した。慌てて戻しながら、机の上に貰った教科書をずらりと広げる。

「リヴァイさん、聞いてください! 英語ノータッチだったんで不安だったんですが、アルファベットの授業からはじまるみたいです!」

 ぺらぺらとページを広げると、安堵と不安をないまぜにした複雑な顔をされた。それもそうだ、中学一年生の範囲からやるとはエレンでも思わなかった。受験時に筆記テストがなかったはずだ。

「低偏差値の学校って思ってたよりやべえな」

「ちなみに数学は分数からです。さすがのオレもやべえと思ったんで、必死に追いついて追い越しますね」

「家庭教師は任せろ」

「メールで先生に直接聞くこともできるので……」

 入学説明会にはリヴァイもいたはずだが、すっぱりと頭から抜けていたらしい。首ががくりと折れる。

「……クソ寂しいな」

 予想外にしょんぼりした大人は頭を何度も撫でればじわじわと復活した。薄々勘付いていたが撫でられるのが好きらしい。大型肉食獣を手懐けた気分だ。

「バイトもしてみたいんですが」

「なら、大学行ってからな」

「大学……行けるかな」

「行くためにすることが勉強だろ」

 このときは知らなかった。この学校に通う自分が、大学に行くためにどれだけ努力をしなければならないかを。担任に聞いて初めて知ったのだが、エレンは目標を変えようとは思わなかった。

 リヴァイが当たり前のように望む未来を、自分でも作りたかったからだ。学があれば未来は広がると、教師に教えてもらったことも大きい。

「将来はリヴァイさんを養えるレベルになりたいです」

「俺が定年超えたら頼んだぞ。二人暮らせるだけの額は貯める気でいるがな」

「それ頼まれてねえじゃねえかよ」

 

 エレンの口端が緩やかに釣り上がる。他愛ないやりとりを思い出すたびに、顔は何度も緩んでしまう。

 気付けばワイドショーは他の話に移っている。歌手とアイドルがすっぱ抜かれたようだ。

『覆面ミュージシャンとして活動していた――』

 ぷつりとテレビを消して、机上に教科書と問題集をずらりと並べた。

 シガンシナが落ち着けば、二人で行こうと話している。案外すぐに行けるようになるのではないだろうか。自分で作った墓に花を手向けてやりたい。両親や住人に、やっと人らしく暮らしはじめた報告をしてやりたい。

 人でごった返すダウンタウンで年上の恋人と住んでいるなんて知ったら、住人はどれだけ驚くのだろうか。やっと人らしい幸せを見つけたと報告すれば、両親は喜んでくれるだろうか。

 未来と過去に思いを馳せながら、まずは目新しい国語の教科書をそっと開いた。