照りつける日差しはほとんど通らないホコリ臭い家。割れた窓や崩れたレンガを覆うビニルシートまで汚れとホコリがはびこっている。そこは元々、家族が仲良く暮らす家だった。しかし今はライフラインの死んだただの住処だ。
エレンの一日は、その家の外に出ることからはじまる。
同じような廃墟が並ぶ集落の合間に自力で耕し続けている畑がある。逆方向に向かうと流れの穏やかな浅い川、さらに奥には木々の生い茂る山が。
この集落に住んでいるのはエレン、ただ一人だ。運が悪かった。敵国の爆撃機が軍施設ではなく気紛れでエレンたちの住む集落を襲ったのだ。戦争をしていることを知りながらもどこか遠くに感じていたこの地域は、突然の爆撃に為す術もなかった、らしい。ちょうど収穫を祝う祭をしており、村人が一箇所に集まっていたことが、さらなる悲劇を生んだ。
燃え盛る火は近くのプロパンガスに引火した。地響きのような音を立てて、何度も地面が揺れた。火柱は一気に高く上がって、真っ黒な煙が何筋も高く高く上がっていた。
何故十歳だったエレンが生き残っていたかと言うと、退屈な祭ごとに我慢できなくなって川の上流で遊んでいたからだ。
涙が枯れるほど悔やんだが、生き残ったならば生きるしかない。ラジオが戦争が終結したなんて今更伝えてくることに憤りながら村人の遺体を埋めているときが一番の苦痛だった。両親を埋めるとき、そして村人皆を埋めるときに悔しさで泣いた。ラジオの電池は底を尽きた。
森を抜けた奥には人の住む街に繋がる道がある。知ったのはつい二年前だ。今更普通の生活をしている人間に混じれないと、エレンはゴーストタウンで孤独に暮らすことを選んだ。後悔はしていない。
ここは自由だ、他の場所でどう生きていけばいいか分からない。ゴーストタウンに人が住んでいるなんて誰も思っていないだろう。ならば、自分の籍もなければ居場所だってない。一人で生きて、一人で朽ちていくしかあるまい。
明るさに慣れるまで目を細めていたが、エレンは意を決したように歩きはじめた。行き先は川の上流だ。ときおりびっくるほど魚がかかっているときがある。脳裏に浮かぶのはつい最近の出来事だ。
二年前に見つけた道を何の気なしに歩いていると老夫婦が車の前に突っ立っていた。強張った顔は明らかに何かが起こったことを示している。
「どうしたんですか?」
「情けない話なんだが……車の中に蛇がいて、どうしようかと悩んでいたんだ」
「……蛇ですか?」
よく見てみると開けっ放している扉の中に、緑色の大きな紐がうねうねと動いている。毒性の有無は分からないが、見たことのある柄だ。
「中に入っても?」
「構わないが、……大丈夫なのか?」
「多分大丈夫です。ちょっと避けててください」
後ろからそろそろと手を伸ばして、ぐっと真ん中を掴む。蛇が口を大きく開けていたが、構わず車の外へと運び出した。顔を強張らせた老夫婦は一歩ずつ後ろに下がっている。近くの茂みへ投げようと思ったが、車から離れたところまで移動してから蛇をぼとりと解放した。
「ありがとう、噛まれていないか?」
「いえ、大丈夫です。あ、あの、お礼とかそういうのはいりませんから!」
男が財布を開いているのを見て面食らう。金など、あったところでどうすることもできない。だからといって、何が欲しいのかも分からない。
「あなた。もしかしたら厳しいご家庭なのかも」
「……なら、これでどうだ。金ではない、ただの紙切れだ。だが、夢のある紙切れだろう?」
生まれて初めて目にした宝くじに、夢なんて到底見れなかった。
無理やり握らされたそれは、捨てることもできずにベッドの下に置いている。にこにこと笑顔をこぼしてから立ち去る老夫婦との思い出でもあったからだ。人と接することに飢えていたのだろう。
川の仕掛けを確認すべく上流に向かって歩いていると、見知らぬ大人の男が落ちていた。ぼんやりと回想していた頭が一気に現実に返ってくる。
泥だらけになったボロボロのスーツ、傷んで色の変わったビジネスバッグ、元の色が分からなくなった革靴。まるで昼寝をしているかのように横向きになっている男の前にしゃがみこむ。頬や首は暖かく、ちゃんと呼吸をしていた。
五年前のあの日に戦争が終わったこの現代で、道から遠く離れた森に入ってくる理由なんて一つだろう。嫌な類の来訪者の存在は、今までになかったわけではない。
「おい、オッサン。何があったか知らねえけど、こんなところに死にに来んな」
ぶっきらぼうな声に、男はわずかに目を開く。
「死にてえわけじゃねえ、だが動けねえ」
「……は?」
それは苦しげなうめき声にも似ていた。木々の葉が擦れる音と穏やかな川の水音。それに混じって、動物的な音が鳴り響く。
「……腹減って動けねえの?」
轟音、地響き。それを彷彿とさせるほどに力強い腹の音だった。
「残念ながら、それもある」
いや、それしかないんじゃないか。指先ひとつ動かさない男は、せっかく開いた目蓋を閉じた。
「ちょっと、アンタ、大丈夫か」
大丈夫ではなさそうなことぐらい、ひと目見て分かる。分かるが、呼びかけずにはいられない。
エレン・イェーガー、十五歳。生まれて初めて、生きている大人の男を必死で背負った。罠にかけた鹿を運んだときの重みを思い出しながら、必死で背負って歩いた。
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