普段は起きてすぐに外へと飛び出すのだが、今日は違った。外に出なくとも朝食が鍋にたんまりと残っているからだ。ビニルシートを捲ると、今日もしっかりと晴れてくれそうな空が見える。
「朝から重いですね」
「朝から肉食えば力がみなぎってくる気がしねえか?」
コトコトと煮込んだモツをズズッとすするリヴァイは、さも分からんとばかりにきょとんとした顔をする。朝は軽いものしか食べない両親を見て育ったせいで、歳を重ねると皆一様にそうなるものだと思いこんでいたが違うようだ。
「リヴァイさんの胃袋ってまだ若いんですね」
死んだ頃の両親の年齢はいくつだったのだろうか。まさか両親と比べられているとは予想だにしていないリヴァイは、思案するエレンを訝しげにチラリと見たあと、黙々と朝食を咀嚼した。
「食って顔洗ったら行くぞ、山」
「山が先なんですね。ついでに魚も獲っちまいますか」
用意するものは魚用の袋と、ハーブ用の袋、そしてナイフがあれば十分だろう。
「ハーブ採ったら肉をもう少し小さく解体しますから、燻製作るときは指示してください」
「ああ、先に肉を小さめにして乾かすか。木の種類を選べたらベストなんだがな」
木を何に使うのか、しばらく考えてぴんと閃く。きっと燻製に使う薪のことだ。
「食ったらすぐ捌きますか」
「ならここの片付けは任せろ。適材適所だ、お前のほうがバラすのが早いし上手い。サイズはこのぐらいで頼む」
「了解です」
ビシッと背すじを伸ばしてから、さらりと褒められたことに気付いてじわじわと体温が上がるのを感じた。
頬に熱を感じながら、ナイフを肉に突き立てる。リヴァイが指定したサイズは思っていたよりも大きかったが、元のサイズがサイズだ。骨の位置を考えながらザクザクと切っては、端に避けていく。
「終わったら外に出てきてくれ。その間、俺は燻製の準備をする」
「分かりました。サクッとバラしちまいますね」
肉に切れ込みを入れて骨を一本一本抜いてく作業は根気がいる。特にアバラは数が多い。骨付きのままでもいいのだが、こうすることでバラすことがラクになるのだ。骨を取るついでに肉を開いて、解体がてらさくさくと進めていった。
外からガタガタと何か得体の知れない音がする。決して派手ではない小さな音だが、思っているよりも何か、大掛かりなことがはじまろうとしているのか。燻製を暖炉の火を使ってするものだとばかり思っていたせいで、全く想像がつかない。
妙な音は家の中からも聞こえた。ギィギィ、ギコギコ、ガタガタとこれまた得体の知れない音だ。気になって仕方ない。そわそわ聞き耳を立てながら、ただひたすらに肉を捌く。
全てを一気に燻製にしないで、一切れだけでもそのまま焼いて食べてみたい。しかし今の気温ではすぐさま傷んでしまいそうだ。焼いた肉は小動物をとっ捕まえたときの楽しみにとっておこう。
大きな肉を全てある程度小さな肉塊に変えるのと、汗でぐしょぐしょのリヴァイが戻ってくるのはほぼ同時だった。
「吊るそうにも物がねえな。切った肉をこのまま並べているだけもマシか。骨は煮込んでスープにでもするか。ガラは畑の肥料にでもなんだろ」
「肥料にするには粉にしないと駄目なんですよ。面倒くさくないですか」
「雨が続いたときの暇つぶしになるだろ」
でかいままの骨がリヴァイの手元でバキッと鈍い音をたてる。ノコギリで切ってようやく小さくなるはずの足の骨が、怪力にかかるとこれだ。歪で無残な姿に変わっていく骨からそうっと目を逸らした。
「まだ水はあったよな」
「たっぷりと」
見たことのない寸胴にぽいぽいと放り込まれた鍋が、崩れたまま放置していた家の端に運び込まれる。リヴァイが妙にギィギィと鳴らしていた音の発信元だ。
「……は、何これ」
「居間でずっと火ぃ焚いてんのは暑いだろうが。かまどだと思ってくれりゃあいい」
さも中で火を焚けとばかりに大きく口を開けたドラム缶がどんと鎮座している。床が崩れて土台のセメントしかないことからこそできる荒業だ。
「風通しもいいしな」
ぺらりとビニルシートを捲ってから、どんとドラム缶の上に骨を入れた鍋が乗る。はっとして、慌てて汲み置きの水をトポトポと注いだ。居間の火が薪ごとドサドサと放り込まれる。鍋と火があることで、目の前のドラム缶が一気にかまどらしくなった。
「言っておくが、間に合わせだからなこれは。もっとマトモなものを作る」
「リヴァイさん技能豊富過ぎませんか? 実はサラリーマンの皮を被ったサバイバーなんですか?」
「キャンプしかしたことねえよ。あとはガキのころに一から家を作るのを手伝ったことはあるが、そのぐらいだ。この家の修理してやるっつったろ」
「こんなガチな修理だとは思いもしませんよ」
まさかそんなにスキル豊かなサラリーマンが存在するとは。ぽかんとして頷くこともできなかった。しかし鍋がくつくつと煮え始める音でふと我に帰る。
「ハーブ……!」
忘れていたと外に出て、今度は大きなレンガの塊に面食らった。これがきっと、燻製を作るためにこしらえたものなのだろう。隣の男のひたすらに得意顔だ。子供のころにボーイスカウト、大工の手伝い。他に何かやっていたとしても、もう驚かない。
「これも間に合わせだからな」
「それにしちゃでかすぎませんか?」
「でかくねえと、あの肉全部入らねえだろ」
積み上げられた大きなレンガの上部に、網代わりだろう金属の棒がまるで棚のように設置されている。どれだけ薪を使うつもりなのか。全力で手伝ってもらわないと割に合わない気がしてきた。
「おら、行くぞ」
ひと仕事終えたにしては軽やかな足に、薪の計算をしながらついていく。薪拾いの人手は倍だ、きっとなんとかなるだろう。楽観視したエレンの足取りも、リヴァイの次に軽やかなものになった。
自生しているハーブは、様々な種類があった。一つ一つ教えてもらいはすれど、一気に覚えられる自信がない。
「ハーブに詳しいなんて意外です。これも子供のころに学んだんですか?」
「いや。小せえころに死んだ母親が、ハーブを山ほど育ててたんだ。遺品の一つだったんだが……」
彼の家は燃えた。エレンは遺品に囲まれて生きているが、リヴァイは文字通り全てを失ったのだろう。俯きながら、ぶちりと教えてもらったハーブを摘む。何を言えばいいか一気に分からなくなった。
「事故って入院してるときに台風が来て、ベランダ菜園は全部おじゃんだ。まあ、どうしてもなくせねえような形見は持ち歩くようになったから、今となってはいい経験だった」
どう声をかければいいのか、悩みに悩んでいたエレンの動きがぴたりと止まる。
「こうやって家が燃えちまう前に気付いてよかった。何もなしじゃあんまりだからな」
そうか、残っていたのか。そうか。土だらけの手で背中をばしっと勢いよく叩いた。嬉しいのと、思い切り心配したのとで、気持ちのやりようがなかったためだ。
「ってえな、なんなんだ」
「なんでもないです。ちなみに、残ってた形見ってなんですか?」
「ああ、ただの指輪だ。祖母が母へと遺してたらしい。俺には小さすぎるから着けられねえがな」
もしかして代々受け継がれてきた代物かもしれない。形見らしい形見をリヴァイが持っていることに安心して、また土だらけの手で背中をぽんと叩いた。
「なんなんだお前は……ニヤニヤしながら背中バシバシ叩きやがって……」
ぶつくさと呟くリヴァイには悪いが、今のエレンは上機嫌だ。
ハーブを肉と肉の間に置いて燻製するらしい。外で煙に燻されている肉類は、数時間後に完成するとのことだ。
自分たちの影は短く、強い太陽光が肌に痛い。ずっと動いていたせいで、喉も乾いたが腹も減った。
「飯食ったら薪拾いですね」
「もつ煮は飽きたな」
「採ってきたハーブ、鍋にも突っ込むんですよね?」
「そうだ。この細い葉のやつは美味いぞ」
「軽く煮ればいいですか」
「ああ、適当でいい。任せていいか?」
簡易台所の大きな寸胴鍋を下ろしながら言われれば、頷くしかない。一番力のいる作業を先にされたのだ。
モツの入った鍋に指定のハーブを適当に放り込んで、ゆっくり温まる様子をじっと見守る。このハーブは虫よけにもなるらしい。ふわりと漂ういい香りが苦手だなんて、人間に生まれてよかったと思う。
煮えるまでどうも暇なので、外をぶらつきはじめたリヴァイの後を追った。
家のすぐそばまで伸びていたパイプを、どうやら家の中に通そうとしているらしい。それも蛇口に繋がるようにと、どうにかパイプ同士を組み合わせつつ難しい顔をしている。家の裏に確か、そう思ってくるりと踵を返した。
洗濯物を干すぐらいしか行くことがない場所には、邪魔になっていた瓦礫が置きっぱなしになっている。その中には本来表側にあった水道管が混ざっていた。日が当たって熱を持ったそれをズルズルと引っ張り出して、そのまま表側へと足を運ぶ。
「リヴァイさん、これ使います?」
「でかした」
伸びてきた手はぐいと差し出した管ではなく、真っ先に汗で濡れた髪を撫でた。
カナヅチと手指を駆使した力技でバラされた水道管は、一旦表に放置するようだ。
「先に飯だな」
そう言われたが、続きがどうなるかが気になってしょうがない。後ろ髪を引かれながら、のそのそと台所に戻った。
水道の蛇口が元の位置からかまどの近くへと移動した。作業台替わりに居間のテーブルも移動した。ぽかんと空いた空間には、両親の部屋にあった小さな机が鎮座している。
みるみる自分の家が変わっていく。リヴァイがふらりと出歩くたびに、生活が一つずつ便利になった。
さすがに窓ガラスはどうしようもなかったために、雨風を凌ぐための雨戸ができた。崩れた屋根もボロボロの玄関も、一つずつ新たな形となって生まれ変わった。
手動薪割り機なんて、今までの人生で見たことがあっただろうか。大きく太い木でも薪として使えるように、テコの原理を利用して細く切る道具だ。
ライフラインなしで暖かな風呂に入るなんて、想像できただろうか。爆撃前までは古い家ながらもガスで湯船の湯を温めて、自由な温度のシャワーを浴びていた。しかしリヴァイ曰く、古い家でよかったらしい。風呂場付近のレンガを崩せば、中に火を焚べる場所があったらしい。さすがにシャワーは無理なのだが、湯船で身体の疲れを癒やすことができるようになった。
エレンの家と同じく、中心地から離れたところは爆撃や火災を逃れた家がある。その中でキャンプ好きの家があったらしい。あらたにレンガで作り直されたかまどの横に、少し背の高いバーベキューグリルが設置された。夢の二口コンロだ。
他にも火を起こすためのファイヤースターター、寒さを凌ぐための分厚い寝袋、クーラーボックスまである。
人と暮らすのが楽しいのではない。同性同士、何も気にせず話せるリヴァイだから楽しいのだ。しかし同じような大人の男が来たとして、リヴァイ相手のように懐く自信は持てない。
リヴァイを早く元の生活に返したい。当たりくじだってあげたっていい。しかし、もう少しだけ今の暮らしを味わっていたい。
エレンの胸中はふと矛盾する想いでいっぱいになる。当たりくじの期限はあと五ヶ月。タイムリミットは刻々と迫り、胸がズキズキと泣いている。
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