リモコンを操作すると、部屋からゆっくりと明かりが落ちる。薄ぼんやりとした明るさの中で電源を落としたままのスマホを開いた。メッセージはエレンで止まったままだ。
『突然だが、聞いてくれるか』
さあ、懺悔の時間のはじまりだ。エレンからの返信は早い。当たり前だ、テレビぐらいしかない客間で早い時間に放置されているのだ。
『珍しいですね、いいですよ』
『俺はずっと好きな相手に隠し事をしてきた。隠すだけじゃねえ、騙してもいた』
『いきなり穏やかじゃないですね。オレが言う台詞じゃないですが』
『お前よりも酷いぞ。嫌われ覚悟だ、正直言ってクソみてえに怖いがな』
不要な前振りをどんどんと積み重ねるのは自分らしくない。しかし積み重ねずにはいられない。
『ナーシさんに怖いことなんてあるんですね』
指が震える。どう切り出していいか分からない。嫌われる勇気なんて、全く備わっていないようだ。冷めた目で見られる想像をしただけで、恐怖に心臓をぎゅっと掴まれる。
『好きなやつに嫌われるのは誰だって怖い。その、俺が好きなやつとの付き合いは一年未満だと相手は思っているんだが、もっと昔からの知り合いで、そんときからずっと好きなんだぞ。相手は忘れているだろうが』
『なんか、オレと似てる』
相手が忘れていることがか。十三年間の記憶をさかのぼってもエレンは出てこないだろう。もしも出てきたとしたら、今までに一度も思い出していないのは不自然だ。きっと、嫌われるのが怖い、その部分が似ているのだろう。
『実はな、俺は三十過ぎのオッサンじゃねえんだ』
『え、じゃあもっと年上ですか?』
『逆だ。まだ子供だ。中学生』
『嘘だぁ』
ここまで言えば勢いだ。どうにでもなれと指を動かす。
『お前が知ってる、唯一の中学生だと思う。すまなかった』
『嘘だろ?』
バタバタと小さな子どものような足音が近づいてきた。派手な音をたてて扉が開かれる。
「嘘だろ?」
逆光で見えないが、目を大きく見開いていることが声色で伝わる。軽蔑、嫌悪、そういった感情は感じられないが、怒気がピリピリと滲んでいた。
「嘘じゃねえ、騙しててすまなかった」
リモコンを触ると、簡素な電子音とともに照明が少し瞬いて、ぱっと部屋が明るくなった。声色通りのエレンの顔に、うなだれてしまいたくなる。
「違う、違う! アンタが覚えてること! なんでさっさと言わねえんだよ、なんで黙ってんだよ、なんで最初に初対面みたいな顔してんだよ、オレ馬鹿みてえじゃねえかよ!」
顔を真赤にして目尻を吊り上げたエレンは、ぐい、と己の目尻を拭った。少しの沈黙が部屋の空気をさらに重くする。
見た目通りとことん怒っている。そんな顔も懐かしい。怒りの原因は、リヴァイがエレンに黙っていたことだ。昔から知っていたことを、一度も口に出していなかったことだ。予想外の方向に転がってしまった流れに、呆けて身じろぐことすらできなかった。
「なあ、なんか言えよ! オレの勘違いだったら、それでいいんだから」
「……お前と会った夜に思い出したんだ」
「翌日、かよ……」
ぎしりとベッドのスプリングが沈む。電灯の明かりが大きな図体に遮られた。
「兵長……っ」
情けない声が上から降りてくる。背中に回された腕がぎゅうぎゅうと胴体を締め付けて痛い。
「オレ、すっげえ寂しかったんですからね!」
「すまなかった、エレン」
目を閉じて、興奮で体温が上がっている背中に腕を回した。しっとりと汗ばんでいる。
「はぁ……通りで今日、普通にセックス上手いはずです」
この男はそうだった。ときおり無意識に空気をぶち壊す男だった。脱力したまま、首を上に傾ける。
「お前俺にどんなセックスのイメージ持ってんだよ」
「童貞じゃない人……」
「そりゃあ童貞じゃなかったが……」
いよいよ力が抜けて、ごろりとベッドに横になる。電灯が眩しくて、逆光になったエレンに焦点を合わせたまま目を細めた。
「兵長が兵長だったときから好きでした」
薄々知っていた。そして己の気持ちも知られている。
「先に言っちまうな、上司に譲れ」
「オレは今アンタの先生なんです、オレが言っても問題ないはずです」
「それもそうだな」
手を伸ばして後頭部を抱きしめる。髪を指で梳けば、指紋がしっとりと濡れた。
「俺と付き合ってたら玉の輿だぞ」
「うるせ、オレの家柄舐めんな、また名医の息子だぞ」
「まさか、内科で開業医か」
「オレは継がねえけど」
ミットラス大学には医学部は存在しない。彼なりに進む方向を決めて勉強しているのだろう。前のように、世界に決められた運命ではなく、自分で考えた未来に。
ごろりと寝返りを打ったエレンと、少しの沈黙を共有する。重苦しさのない、ただ静かで穏やかな時間だ。すうと静かに息を吸う音が鼓膜を撫でた。
「……兵長が兵長だってわかった今、どう呼んだらいいか分からないんですが」
「今までどおりリヴァイって呼んでくれ。いきなり敬語使われちまったら家政婦だってビックリする」
「それもそうか」
家庭教師と生徒。表向きは関係が変わったわけではない。なにせ中学生と大学生だ。声を大にして話せば、二人の経歴に傷を付けてしまうだろう。
しかし裏では一気に親密になってしまった。付き合いの長さは親を超える。
「明日、一緒にここでゲームしませんか?」
「別に構わねえが、……なら、ついでに泊まりのセットも持って来い」
ずり落ちた布団を肩まで被せて目を閉じる。
淡く光る豆電球に、二人の安心したような寝顔が照らされていた。
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